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ヘチマコロン物語

夢二の夢

ヘチマコロン物語第11話イメージ 漂泊と叙情の天才画家、竹久夢二。名前のとおり、夢を追い、夢を叶え、夢に敗れた波乱の人生でした。大正ロマンを代表する画家でしたが、詩や歌謡を手がけた詩人でもあり、多くの広告宣伝物や生活美術、本や楽譜の装丁などを手がけた、日本の近代グラフィックデザインの先駆者でした。昭和5年(1930)8月3日の東京朝日新聞にヘチマコロンの広告が掲載されています。これは「ヘチマコロンの唄並びに絵」を夢二が手がけたもの。大きな反響を呼び、ヘチマコロンといえば夢二、のイメージを決定づけたのです。
 大正から昭和にかけて、当時の芸術家と称する人たちは、図案、デザインなどは職人の仕事とさげすんでいました。でも夢二は、その職人の仕事をアートと認め、生活と結びついた夢のあるデザインをめざしたのです。大正3年(1914)、日本橋呉服町に絵草紙店「港屋」を開店。夢二の商業デザインへの意欲を具体化したこの店は、大評判を呼びます。夢二デザインの便箋、封筒、千代紙、浴衣、帯など、身の回りの品々が、若い女性の心をとらえたのです。この店の成功に気をよくした夢二は、大正12年(1923)に、ポスターから舞台装置まであらゆるデザイン開発をめざす「どんたく図案社」を企画します。今でいうデザイン会社です。しかしこの計画は、あの関東大震災で挫折してしまいます。
 さらに夢二は、昭和5年に「手による産業」を提唱、「榛名山美術研究所」の建設を宣言します。大量生産時代の到来で、手づくりのモノが失われる中、衣食住全体をアート視点で見直し、伝えていこうというもの。大きな反響と賛同者を得ながら、これも計画だけに終わります。夢だった欧米旅行がようやく実現したためです。しかし「アメリカには自然なし、人工と人事のみ」と日記に記したとおり、2年半の旅は失意の帰国に終わったのです。

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