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ヘチマコロン物語

江戸の水

ヘチマコロン物語第10話イメージ 化粧はおよそ卑弥呼の時代から行われていましたが、ヘチマ水が化粧水として使われ出したのは室町時代、という説があります。室町時代に、ヘチマが中国から入ってくると、「美人水」と呼ばれて、化粧水として使われるようになったというのです。そして手ごろな化粧水として、広く庶民に普及したのが、江戸時代。高価な化粧料が使えない庶民にはヘチマの水は重宝したのです。しかし、ヘチマが何時でも何処にでもあるわけではない。そこに注目した目利きがいて、大ヒットの化粧水が誕生しました。その名は「江戸の水」。売り出したのは、誰あろう、式亭三馬です。
「浮世風呂」「浮世床」で有名な戯作者(げさくしゃ=小説家)式亭三馬(1776~1822)は、戯作だけでは食っていけないので、生薬屋(きぐすりや)を経営していたのですが、はたとひらめき、自前の化粧水「江戸の水」をしゃれたガラス瓶に入れて売り出したのです。しかも自作の出版物の中で宣伝するから、大変な評判を呼んだようです。今でいう江戸の買い物ガイド「江戸買物独案内」(えどかいものひとりあんない)には「おしろいのよくのるおかほのくすり 江戸の水 箱入りびぃどろ詰め にきびおかほのできもの一切よくいろを白くしきめをこまやかにす」という広告が載っています。
 江戸時代が「江戸の水」なら、明治時代は「キレー水」。製造&発売元は不明ですが、明治14年の岳陽堂の新聞折込みに「キレー水」は紹介され、また秋田県大館市の記録写真の中に「キレー水」の看板が見えますので、全国的に庶民の間に普及していたことでしょう。そして大正時代になると、大ヒットブランド「ヘチマコロン」の登場です。以後ヘチマ化粧水の代名詞として、大正、昭和、平成と、庶民の化粧水として愛用されているのです。

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