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ヘチマコロン物語

続・100年愛されて。

ヘチマコロン物語第48話イメージ その人の背中を押したのは時代の風かロマンか。本物のウイスキーづくりに人生を賭け、大正7年(1918年)24歳で単身渡英し製造法を習得。スコットランド女性と恋をして帰国し、波瀾万丈の人生が…そんなTV番組が人気ですね。ヘチマコロンが生まれ、人気となったのもこの時代。時代の風を読みに、ちょっとタイムスリップしてみましょうか。
 ヘチマコロンは大正4年生まれ。この年には「シャープペンシル」(早川式繰出鉛筆)が登場し、「亀の子タワシ」が特許を取得し、「婦人之友」が家庭用仕事着として割烹着を発表し、チューインガムが「噛み菓子」「世界的煙草代用品」として販売されました。「銀ブラ」という流行語がうまれたのもこの頃。銀座をブラブラ?NO!銀座の「カフェーパウリスタ」で一杯5銭のブラジルコーヒーを飲むという、一寸おしゃれな意味だったそうです。
 この時代を映すキーワード。「大正ロマン」は、大正浪漫とも表記されますが、「浪漫」という当て字は夏目漱石によって付けられたとか。19世紀ヨーロッパの「ロマン主義」の影響を受け、個人の解放や新時代への夢を抱く一方、社会不安との心の葛藤からやや退廃的な独特の雰囲気、文化を醸し出したようのです。もうひとつのキーワード、「モボ・モガ」とは、「モダン・ボーイ」「モダン・ガール」を略した言葉。1920年代(大正末期から昭和初期頃)に、西洋文化の影響を受けてこれを模倣し、風俗や流行をリードした先端的な若い男女を、外見的な特徴からやや嘲笑的にこう呼んだそうです。
 では、大正時代の化粧はというと。女性の社会進出が活発化していき、見られることがいっそう意識されていきます。人と接する機会が増え、相手に不快な印象を与えない。つまり女性として美しくあるための化粧と、社会人として対応するマナーとしての化粧、その両方を兼ね備えた、現代の女性たちと同じ意識を持ちはじめた時代といえますね。
 さて、流行の先端をいく「モガ」も、その軽薄な風潮を揶揄した一般庶民も、社会進出した女性達も、銀ブラ女性も、スキンケアはヘチマコロンでした。流行は繰り返す。きれいのDNAは受け継がれる。愛されて100年。流行を追う人、それを揶揄する人、働く女性、銀ブラ女子…ほら、今日もきれいな人は、ヘチマコロンです。

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