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そしてヘチマコロンは、誕生した。

美人水として愛用されていたヘチマ水が、本格的な化粧水としてデビューしたのは、大正4年ですが、その売れ行きに大きく影響するのが、商品名。ヘチマコロンというネーミングは、どのようにして生まれたのか。製造創始者とされるアイデアマン、安永秀雄氏(明治25年~昭和47年)の遺稿から、ネーミングのエピソードをご紹介しますと------。

「何とか独自の商品を作り、宣伝を思い切ってやりたいと思い続け、当時化粧品のうちでは、オーデコロンというフランス製の化粧水が、全国的に有名でした。そこでヘチマの商標を持っていた谷さんと云う人からヘチマの商標を参百円で譲り受け、それに語呂のよさからオーデコロンのコロンを取り入れヘチマコロンの商標を考えた」そうです。ちなみにオーデコロンとは、「ケルンの水」の意味。今でこそ軽い香水の意味で使われますが、元々は気分をリフレッシュさせる「驚異の水」としてイタリアで生まれ、ドイツのケルンで育ち、フランスで大流行して、当時は化粧水の代名詞ともなったのです。

販売を、東京随一の小間物商と定評のあった天野源七商店に依存して数年後。ヘチマコロンは急に売れ始めます。そこで、好機とばかりに大々的に新聞広告などを始めたのです。ところが大正12年9月1日、関東大震災。東京は壊滅状態となり、ペンペン草の生えるところで化粧品などは永久に使う人はいないだろうといわれ、悲観のどん底に陥りました。しかし日がたつにつれ、人心も落ち着き、復興気分が広がると、ヘチマコロンも意外な売れ行きを見せ始めました。キレイになりたい女性の気持ちは、もう、大地震でも揺らぐことはなかったのです。

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