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走る、ヘチマコロン。

ある作詞家が書いた、作詞家憲法の第15条に「歌は時代とのキャッチボール。時代の飢餓感に命中することがヒットではなかろうか」というものがあります。

この「歌」を「化粧水」に置き換えたらどうでしょう。関東大震災の直後でも売れ続けたヘチマコロン。どうやらヒットのカギは、このへんにありそうです。ところで、売れ行き向上に合わせて、宣伝活動も盛んになりましたが、それは新聞や雑誌広告だけでなく、新しい宣伝方法への意欲もまた旺盛でした。その一つが写真のような「花電車」を利用した広告でした。

花電車とは、「祝い事のある時などに走らせる、花やモール・豆電球などで飾った市街電車」(三省堂『大字林』)とあります。今でいう某遊園地の光のパレードみたいなもの。要はイベント用の装飾電車で、イルミネーションや電動からくりが当時の人々に大人気だったのです。この人気に目をつけ、明治神宮鎮座十年記念の花電車を、広告宣伝に利用したのです。現在のアドトレインの走りといえるでしょう。ちなみに香港には80年前からトラム広告(路面電車の車体広告)があり、今、ライトアップが検討されているとか。なお日本初の花電車は、明治37年に日露戦争の遼陽占領記念のために走ったとされています。

しかし、ヘチマコロン製造創始者とされる安永秀雄氏は言いました。「宣伝で一番ヒットだと思った事は、商品と結びつけてタクシーを始めたことです」。不況のどん底で、ガラの悪いタクシーが横行する時代に、ホテルマンのように服装を統一し、礼儀正しさをウリとする「淑女の専用車」、ヘチマタクシーを、宣伝の一環として走らせたのです。この話題は、次回で詳しくお話します。

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