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ヘチマの誤解

広辞苑を引くと、「へちま」の意味2に、<つまらぬもののたとえ>とあります。「夢もヘチマもない」「主義もヘチマもない」など、「~もヘチマもない」の形で使われ、前の語がくだらないものであることを表します。これは、見た目は立派で大きくて、さぞおいしかろうと思ったら、これが食べられない。何て役立たず‥‥ということから、ヘチマは見掛け倒しのダメなものの代名詞にされたようです。「糸瓜野郎」とは、ぶらぶらと何もしないでいる男を罵っていう言葉。「糸瓜の皮とも思わず」は、何とも思わない、屁とも思わない、の意。「糸瓜」は、ずばり醜女のたとえ、ブスと同義にも使われたのです。

これらはそもそも、江戸庶民の「ヘチマは食べられない」という誤解がもとで生まれたようです。しかし、若いヘチマは昔も今も、沖縄、鹿児島、宮崎、広島、香川などで、食用として、煮物、炒め物、てんぷら、漬物などに使われ、特にインド、スリランカではカレー料理にも使われています。種子の油は菜種油の代わりにもなります。昔から特に暑い地方で食されたのは、ヘチマの持つ清涼作用をカラダが求めたからとも。またヘチマタワシの手にやさしい不思議な洗浄力は、もともと植物ゆえに、含まれるサポニンのチカラや繊維の組成に秘密があるのではないかとも言われます。

食用やタワシ以外では、ヘチマ水は咳止め、利尿剤、汗疹や火傷の薬として。またご存知美人水として、化粧水に利用されてきました。とるに足らないどころか、食用、薬用、化粧用、実用と大いに重宝がられてきたヘチマ。ヘチマが醜女で、ヘチマ水が美人水、というのもなんだか矛盾でしょう。そろそろ誤解から生まれた諺は、返上したいものです。

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