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女性が、野球を、熱くする。

いま「野球推し」の女子が急増中です。キャップやユニフォームを着用してタオルを振る、ペンライトを振る、選手の顔入りうちわを振るなど、ライブ感覚の試合観戦。チームや選手の「推し活」が、プロ野球ビジネスを押し上げているとか。一時はサッカーに蹴られて、人気は低迷していましたが、球団のあの手この手の作戦が実ったようですね。

カープ女子、オリ姫、TORACO、タカガール、つばめ女子、G-jo 、ドラゴンズ女子、はまっ娘、獅子女、イーグルスガール、ファイターズ女子、ロッテ女子。どこの球団の女性ファンを指すかなんて、聞くのは野暮ですね。そして大リーグでも、今や日本人選手が大活躍です。ところで、「水を飲むとき、井戸を掘った人を忘れてはならない(渇水不忘堀井人)」という中国のことわざがあります。遙か彼方にそびえて見えた米メジャーに、トルネード投法の魔球で風穴を開けた人、振り子打法で大リーグの記録を塗りかえた人、さらに投打二刀流の活躍で日米双方での人気を不動にし、なお高みを目指す人など、米メジャーに挑戦した多くの日本人選手を忘れてはいけないでしょう。さらに昔、「日米野球の歴史」を紐解くと、そうだったのか、と手を打つエピソードが見えてきます。

日米野球の始まりは、明治41年(1908年)。日本に野球を広めるために、MLB選手6人を含む選抜チームが訪日し、大隈重信の始球式で開幕した早稲田大学を皮切りに、慶応、東京倶楽部などと計17試合を実施。アメリカが全勝で日本チームを圧倒しました。大正時代には、米選抜チームが3度来日。日本チームがようやく初勝利。昭和に入って2年は23勝0敗1分け、6年は17勝0敗、7年は23勝1敗(日本11年ぶりに勝利!)。9年は16勝0敗と日本チームを圧倒。この年日本初のプロ球団が結成されましたが、日本球団は歯が立たず、米メジャーとジャパンの野球には、プロとアマ、雲泥の差があったのです。

ところでこの日米野球に関連して、こんな広告が話題となりました。「日米女性の交歓!ヘチマコロンとヘチマクリームとに 皆様の熱誠をこめて 世界最強のアメリカ野球軍選手たちの夫人に贈る」「アメリカ野球軍団長リーブ夫人の日本女性に贈る言葉 球場に、街上に美しい日本の女性の溢るる新しい力を感じています。この美しい日本女性の健やかな肌を創る日本の化粧品は世界の驚異であり、日本の誇りでありませう。・・」日米野球に実力の差はあっても、女性の美しさに差はなかった。そして、そうです、野球を熱愛する女性、「野球推し女子」のルーツは、案外このあたりにあったに違いありません。

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