91話
はなしたら、とても不自由。
一日の終わりに、私たちはよく「自分へのご褒美」として、コンビニで甘いものをかごに入れます。それは、ストレス社会を生き抜いた自分へのささやかな祝杯です。でも、どこか後ろめたさも連れてくる「ギルティ商品」。

夜更けのジャンクフード、衝動的なネット通販、必要ないのに押してしまう「購入する」のボタン。それらは一瞬、心をなだめてくれるけれど、翌朝の胃もたれやクレジットの明細が、静かに反動を告げてきます。本当に欲しかったのは、糖分や物ではなく、「今日の自分はよくやった」という実感かもしれません。
そんな空気の中で、Z世代のあいだに「スマホなし旅行」や「アテンション・デトックス」という言葉が生まれてきました。スマホやSNSからあえて距離を置き、注意力の主導権を自分に戻そうとする動きです。ある調査では、Z世代の多くが「スマホ疲れ」を自覚し、通知やSNSから一時的に離れる行動を取り始めているといいます。それは、大きな革命というよりも、静かな小さな反乱です。
たとえば、そんなアテンション・デトックスの旅で訪れた海辺の小さな宿。その洗面台に、少しレトロなガラス瓶が置かれているとしたら。スマホをフロントに預けて迎えた朝、手持ちぶさたになった指先は、そのボトルへ伸びていきます。「あ、ヘチマコロンだ」。顔を洗い、ヒタヒタと肌になじませる数十秒は、通知もタイムラインもギルティ商品も存在しません。旅先で出会ったヘチマコロンは、「ちゃんと自分を扱う」という、少しだけストイックな優しさを教えてくれるでしょう。
「一日、一日 ヘチマコロンになれて はなしたらとても不自由」
ネオダジャレのようなこのフレーズも、少しだけ真面目に読み替えてみると、「不自由」とは何かという問いが浮かび上がります。私たちはよく、「スマホがないと、とても不自由だ」と言います。地図も、連絡も、支払いも、予定も、すべてがそこに集約されている今、それは事実でしょう。しかし同時に、「自分をいたわる習慣がないこと」こそ、もっと根深い不自由なのかもしれません。スマホの電源はまた入ります。通知も、メッセージも、タイムラインも、元通りに流れ始めるでしょう。けれどその前に、今度は自宅の洗面台で、ヘチマコロンのボトルを手に取る数十秒があるなら、そのいたわりの習慣だけは、世界より先に、自分に「おかえり」と言っているのだと思います。